樹下ブロ

レゴでいろいろなものをつくっています

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私のパソコン遍歴 

初めてさわったパソコンは
中学の技術室にあった
シャープの「MZ-80K」というパソコンだった
(当時はマイコンと言った)
本体とキーボードとモニター
そしてデータレコーダー(カセットテープによる記憶装置)
すべて一体になっているやつだ
あの頃はキーボードをさわるだけでも
ドキドキしたものだ
先生が独り占めして
なかなかさわらせてもらえなかった
そんなある日
先生が新しいパソコンを持ってきた
ナショナルの「JR-100」という
パソコンだ
キーボードがゴムで出来ていて
押すと戻らなくなってしまうことがあった
ある日
先生が「貸してあげるよ」と言ってくれた
俺はそれをもって帰り
テレビに接続した
何も無い画面だったが
キーボードを打つと
テレビに文字が出る
興奮して
いろんな文字を打ち
文字で絵を書いたりもした
今で言う「アスキーアート」である
当時はそれだけで満足だった
その時から
俺はコンピューターに
夢中になった

****************************************

1983年、俺が11才の時
任天堂がファミコンを発売した
しかしながら当時は
今みたいに1家に1台ゲームがある時代ではなく
ファミコンを持っている子は
むしろ少数派だった
持っていない子は
持っている子の家に集まって
みんな一緒に交代でゲームをした
(その頃は物珍しさもあって見ているだけでも充分楽しかった)

ファミコンが出るまで俺は
ボタンが二つしかない液晶型携帯ゲーム機の
「ゲーム&ウォッチ」やその亜流「ゲームデジタル」などしか知らなかった
ボタンは基本的に2つで、左右もしくは上下の動きしかできない代物だ
俺はファミコンの十字ボタン+2ボタンのコントローラを見て
「こんなもの、どうやって操作するのだろう?」
と衝撃を受けた

それから数年後、スーパーマリオの大ヒットとともに
ファミコンは次第に普及し
当時の小中学生の必須アイテムのひとつになった
しかし
俺は結局最後までファミコンを手に入れることは出来なかった
というより
買ってもらえなかった
そんなある日
新聞の通販の安売りで親に買ってもらったのが
MSXというパソコンだった

image[3]
(サンヨーのWAVY2)

この頃のパソコンを知らない人は
驚くかもしれないが
当時のMSXの記憶装置はカセットテープだった
音楽用のものだ
ゲームもカセットテープのものがたくさんあった
つまり
データを音にして録音(記憶)するのである
苦労して打ち込んだプログラムも
MSXの電源を切ると全て消えてしまう
そこで
ラジカセをつないで
プログラムをセーブするのだ
しかし
所詮はアナログなので
3回に1回は失敗してしまう

ロードも同じ
カセットテープのゲームはとにかく
ロードに時間がかかる
ゲームの途中の画面の切り替わりで
突然カセット読込み
待ち時間20分
なんてザラだった
しかもそれが失敗してフリーズなんてこともあったから
始末が悪い

それでも笑いながら、興奮しながらパソコンを楽しめた
今考えるとのんびりしたすごくいい時代だったとも思う

**************************

しばらくしてカセットテープのゲームは姿を消し
代わりにMSXの世界はロムカートリッジのゲームばかりになった
しかし、自作したプログラムの保存やゲームの途中
データの保存には
相変わらずカセットテープを使っていた
俺はラジカセ録音の信頼性の低さを何とか解消するために
ハイポジやメタルを使用したり、録音レベルを何度も何度も変えてみたりしたが
あまり効果はなかった

今のパソコンの記憶媒体つまりフロッピーやハードディスク等は
欲しいデータはいつでもすぐに取り出せるようになっている
当り前のように思うが、これは「ランダムアクセス」という技術だ

しかしカセットレコーダーは違う
1本のカセットに複数のデータを録音すると、例えば3番目のデータを取り出したい時は手動で「頭出し」をしなければならない
俺のラジカセにはカウンターがついていなかったので
頭出しは事実上不可能だった

しばらくして俺はお年玉でデータレコーダーという機器を購入した
カセットにデータを録音するための専用の周辺機器だ
それによって
読込みや書き込みの失敗は大幅に減り
倍速録音なんかもできるようになった
カウンターもついていて
頭出しも楽勝だった

image[10]

ちなみにMSXは
パソコンと言っても当時としては衝撃的な安さで発売されていた
従ってスペックも低く
技術的な制約も多かった
8ドット以内に横2色までの制約
スプライトは横4枚
サウンドは3和音+ノイズ1
パソコンのくせにファミコンにも劣るゲームが多く
よくバカにされたMSX
でもそんなあいつが

俺は大好きだった

***********************

MSXは当時
そのスペックの低さから
マイコンの仲間でもなく
かといってゲーム機というわけでもない
中間的な存在だった
逆に言うと中途半端であったともいえる
MSXというのはそもそも
マイクロソフト社が考え出した
メーカー間の枠を超える
画期的な統一規格であった
(MSはマイクロソフト、Xは開発コードを表す)
このことは当時はそれほど
注目されなかったが
その後マイクロソフト社が
Windowsという統一規格で
世界中のパソコンを制覇したのは
偶然ではない

今ではこんなことはありえないが
当時はNECのパソコンのソフトは
富士通のパソコンでは使えないし
SHARPのパソコンでも互換性が無かった
各メーカーがそれぞれの世界でシェアを
競い合っていたのだ
(今の日本のケータイ業界みたい)
MSXで天下統一の感触を掴んだビル・ゲイツが
Windowsで世界統一を成し遂げた
といまさらになって思ったりもする

****************************

MSXを手に入れてからと言うもの
俺は毎日のようにパソコンにクギづけになった
この頃は
5割がゲームで5割がプログラミングだった
プログラミングと言っても
BASICというごくごく初歩的な言語だ
本や雑誌を見ながら
一生懸命打ち込んで
runする
うまくいけばプログラムが走り
失敗していれば
たいてい
Syntax error
とか
illegal function error
とかのメッセージが出てくる
MSXのモニターはテレビだ
しかもアンテナ入力のため
文字が非常に見えにくい
テレビに食いつくように近づいて
俺はプログラムを打ち込んでいた

同じようにMSXを持っている友達は
中学でもクラスで1,2人しかいなかった
あとはみんな
ファミコン派だ
大勢いるファミコン派は、ソフトの交換も活発で
買ったソフトが飽きたらすぐに友達とトレードしていた
しかしMSX派はソフトの数も少なく
友達もそれほど多くないので
一度買ったソフトを徹底的に遊び尽くしていた
ソフトも結構高価だったのだ

当時はパソコン(マイコン)ブームで
MSX以外にも色々なパソコンが
様々なメーカーから
発売されていた
NECのPC8801や9801
シャープのMZ2500やX1シリーズそしてX68000(ペケロクとかペケロッパとか言った)
富士通のFM7シリーズにFMtowns
そしてMSX
現在なら
OSが同じなら互換性があるが
当時は
メーカー間の互換性は全く無かった
(MSXが唯一メーカーの壁を超えた完全互換規格だった)

日曜日の朝には
「パソコンサンデー」という番組をやっていた
今はテレビでおなじみの小倉智昭が司会で
スポンサーだったシャープのパソコンで
プログラミング講座や
ゲームの紹介なんかを
やっていた
発売前のX68000情報を
食い入るように見ていた
記憶がある

久しぶりなので
ペケロクのスペックをインターネットで調べてみる
メインメモリ 1MB
クロック周波数 10MHZ
値段は・・・
モニタ込みで¥500,000・・・
これが
当時のパソコン好き中学生の憧れの
パソコンだった

ちなみに
当時俺が持っていたMSXのスペックは
クロック周波数4MHZ(メガヘルツです、ギガではないですよ)
メインメモリ64KB(キロバイトです、メガでもないしギガでもない)
価格は¥19,800・・・

技術の進歩は
途方も無い速さだ
俺は今もパソコンの性能を見る時
この時代のパソコンと
比較してしまうのだった・・・

**********************

MSXが発売されてしばらくして
MSXの上位互換機の
MSX2がでた
俺は弟とお金を出し合って
松下のFS-A1という
MSX2を購入した
当時としては破格の¥29,800である。

image[2]
(キーボード?じゃないですよ、これが本体)

今で言うグラフィックボードに相当する
VDP(ビデオディスプレイプロセッサーだったと思う)
にV9938というチップを搭載し
1ドット単位の縦スクロール機能(縦のみ、横は無し)や
自然画モード、パワーアップしたスプライト機能など
グラフィック性能がMSXと比較すると
格段に向上していた

俺はさらにMSXに
どっぷりはまってしまっていた
中でも当時凝ったのは
音楽作りだった

MSXの標準搭載音源は
PSG(確かプログラマブルサウンドジェネレータ)
というもので
同時に3音しか出せないやつだった
出だしの携帯電話程度の音源だ
しかし
MSX2が出てからしばらくして
FMPACと呼ばれる2オペレーターの外付けFM音源が発売された
FM音源と言えば
当時TMネットワークで大活躍していた小室哲也が使用していた
ヤマハのキーボード「DX-7」に搭載されていた音源と同じものだ
(もちろん性能は大幅に制限されているが)
俺は早速購入し
色々な音楽を作ってみた
BASICでは、音符をアルファベットに変換して入力する
例えば「テンポ122でドレミファソの4分音符」だったら
play"t=122,c4d4e4f4g4"
とこんな感じだ(ったと思う、たしか)
和音は同時に平行して入力する

俺は当時大好きだったTMネットワークの「GetWild」のバンドスコアを手に入れ
一生懸命入力しては
プログラムをデータレコーダーに保存していた

ある程度色々なプログラムが出来ると
凝り性の俺はさらに
音質にこだわるようになり
日本橋で「擬似ステレオ化装置」というあやしげなキットを購入し
モノラルのFM音源をステレオっぽくしてみたりしていた
しかし最終的には
それに飽き足らず
楽器屋でバンド用のエフェクター(リバーブ)を購入し
それを古いステレオコンポに接続し
大音響でゲームミュージックを
聞いていた

そういえば
あの頃って
いろんなコンピュータ雑誌に
プログラムが載ってて
それを打ち込んで楽しむのが常識だったけど
今は全部CDが付録でついてるから
そんな楽しみがあまり無いように思う

********************

BASICのプログラムに
飽きてきた俺は
次第にパソコン本体や
その周辺機器の改造に手を染め出した

まず最初にやったのが
パソコンのスピードアップだ
今では比較的一般的になった
クロックアップとかオーバークロック
とか言うやつであるが
当時はそんな言葉はもちろん概念すら無かったと思われる

この頃のMSX2は
フロッピーディスクが普及しだし
ゲームが大容量化していた(といっても2DD=720キロバイト、現在のフロッピーの半分の容量)
それに従って
データの処理も多くなり
パソコンの処理速度が追いつかなくなってきていたのだ

俺は雑誌で見つけたクロックアップの記事を参考に
MSX2を改造した
まずはCPUの乗せ換えだ
Z80AというCPUを上位互換のZ80Bに換える

今ならCPUは着脱式になっているため、比較的誰でも簡単に換装出来るが
当時はそう簡単にいかない
なにしろ半田付けされているものを取り外すのだ
日本橋で15Wの半田ごてと、半田吸い取り線を購入し
1箇所づつ丁寧に半田を吸い取る
あまりCPUに熱を与えてはいけない
深呼吸しながら
慎重に
取る

そして
基盤にあいた穴に
新しいZ80Bを差込み
半田付け

ICのひとつの上に6メガヘルツのオシレータ(水晶振動子)を
かぶせるように乗せて
半田付け

4メガヘルツの信号と6メガヘルツの信号を切り替えて使用
出来るように間にトグルスイッチをかませて
本体のカバーに穴を開けてスイッチ取り付け

大体こんな手順だった

俺は早速、当時発売されたばかりだったゲーム
YS3を起動してみた

早い早い、1.5倍の速度でゲームがサクサク動く
でもなぜか
画面が白黒で
音楽もなんかおかしい

ま、いーか
これでクリアまでの時間も短縮できるし
と思って
大満足していた

今考えると
失敗するリスクも考えずに
よくこんなこと
やったものだと思う

俺は今でも
パソコンを見ると
意味も無く
分解してみたくなる

*******************

今はオタクの町として有名な
大阪の日本橋電器屋街だが
当時、俺が中学から高校へ行く頃は
バブルの絶頂期ということもあり
今では考えられないほど
(電器の町として)活気があった

俺は日本橋に行くと
電器屋を必ず端から1件づつ廻った
当時は
インターネットもメールも携帯も無い
家の近所に大型家電量販店も無い
最新情報は
常に日本橋のお店にあった

ソフマップは、今はパソコンや家電の大型量販店として
そこそこ有名だが
当時は
知る人ぞ知る
日本橋の薄暗いビルの1フロアで
ひっそりと営業する
レンタルソフト屋さんだった
レンタルソフトとは、その名のとおり、新作のパソコンゲームソフトを
有料で数日間貸してくれるところだ
俺は
そんなところや
色んな電気製品の部品をばらして売っている「ジャンク屋」の
デジット(今も健在)とか
ICパーツショップの
シリコンハウス共立(ここも健在)で
パソコンやステレオの部品やなんかを
買っていた

そういえば
今は全国規模の大型家電量販店の台頭で
値切り行為が少なくなってきた(最初から値引きしている)ように思う
しかし
あの頃の
日本橋では
猫も杓子もとりあえず値切っていた
大阪じゅうから集まってくる
中学生くらいのパソコン好きの坊主が
「これ、もうちょっと負けて~な~」
って大人相手に本気で言っていたのだ

店員さんもさぞかしうっとうしかったはずである・・・

***********************

MSX2が全盛となってきた頃
外部記憶装置は
完全にフロッピーディスクに
移行していた
俺も
ソニーの外付け3.5インチフロッピーディスクドライブを
手に入れた
ちなみにそれは
俺が持っていたMSX2本体より
高価だった

image[9]
(ソニーHDB-F1)

カセットテープとは比較にならない
そのスピードと容量に感動し
disk専用のコマンドを一生懸命覚えた
今は小学生でも知っているformatという言葉を初めて聞いたのも
この時だ

しかし当時中学生だった俺が
フロッピーディスクを使うためには
大きな障害があった

ディスクそのものの値段が
高すぎたのだ
(10枚で3~4,000円くらいだったような)

そんなある日
俺は雑誌である記事を見つけた
それは
MSX2の外付けフロッピーディスクドライブに
5インチ(5.25インチ)のディスクドライブを増設すると言うものだった

5インチのディスクとは、この頃すでに他の機種では
標準で採用されていた紙で出来たぺらぺらの
フロッピーディスクだ
世間ではすでに5インチから3.5インチへの移行期に
来ており、ディスクの価格も3.5インチの3分の1くらいで
手に入れることが出来た

ちなみに1980年代半ばににファミコンのディスクシステムが
発売されているが
これはフロッピーディスクとは異なるもので
クイックディスクと呼ばれるものだ
簡単に言うと、カセットテープの中身を取り出し円盤状に巻いたものである
従ってA面とB面が存在し、容量もフロッピーディスクの足元にも及ばない
当時何かとファミコンと比較されたMSXだが
俺はファミコンユーザーに馬鹿にされるたびに
このことを一生懸命説明したが
なかなか理解してもらえなかった

俺は5インチディスクドライブ増設計画を実行に移すため
日本橋で必要なモノを
買うことにした
まずは5インチのディスクドライブ
今ならパソコンショップに行けば増設用の裸のドライブは
新品でいくらでも買えるが
当時は自分で増設するという概念すらなかった時代である
俺はジャンク屋で
中古の裸の5インチフロッピーディスクドライブを買った
中古と言っても
故障したボロボロのパソコンを分解してそこから取り出したものを、大量に集めて売っていたものだ
動作保証は当然無い

次に電源
今ならACアダプタひとつで済むところだが
当時はそういうわけにいかなかった
必要な電力を供給するためと
財布の中身とのバランスを考えると
ディスクドライブ本体より大きな
スイッチング電源になった
当然これも動作保障無しの怪しげなジャンク品だ

そしてコネクタとケーブルとスイッチ(当然ジャンク)
とりあえずこれで
準備は整った

5インチディスクドライブ増設のための
材料を揃えた俺は
さっそく作業に取り掛かった

MSX2の3.5インチフロッピーディスクの構造は
大きく分けて二つからなる
ひとつはディスクを差し込む本体部分と
もうひとつはROMカセットに差し込むコントローラーの部分だ
今回改造するのは
コントローラーのところだ
ROMカセット部分をドライバーで
こじ開け
FDC(フロッピーディスクコントローラー)の基板を出す

基本的な原理は簡単だ
FDCからフロッピー本体に出ているケーブルを半田付けの部分から分岐させて
それを5インチの方へ引っ張るだけだ
それでとりあえずは、MSXから2台のドライブがつながることになる
ただ問題は
それだけではMSX本体がどれがどっちのドライブか
分らなくなってしまうということだ
そこで
ドライブセレクト信号(DS)を利用する
FDCにはドライブセレクト信号というのがあり
これの1にドライブが接続されていたらドライブ1(0だったかも)
2だったらドライブ2として認識される
DSの1はおそらくすでに3.5インチの方へ行っているはずなので
DSの2を探し出して5インチの方へ引っ張らなければならない
俺は雑誌をめくり
ドライブセレクト信号のところを読んだ

しかしここで俺は
致命的な欠陥に気が付いた
雑誌の記事の中で
改造されていたのは
パナソニックのフロッピーディスクドライブだったのだ
俺のドライブはソニー
従ってFDCの仕様が違う
やはり
記事の示す写真の位置には
ドライブセレクト信号はなかった

どうしよう・・・ここまできて
中学生だった俺は
悩みに悩んだ末
思い切って
ソニーに手紙を出した
こんな時の通信手段は
当時手紙しか
なかったのだ
「HBD-F1のFDCのドライブセレクト信号2がどこか教えてください・・・」
しかし
こんなマニアックすぎる質問を
自社の商品を改造しようとしているようなやつに
教えてくれるはずも無い

案の定
返事は来なかった・・・

**********************

FDCのドライブセレクト信号2が
分からない
俺はさらに考えた末に
3.5インチのフロッピーディスクに出ているDSを
スイッチで切り替えて5インチの方へも持っていけるようにすることにした
これで
フロッピーは1台しか認識しないことになるが
スイッチでどちらでも切り替えて使用することが出来る
これで目途はついた
とりあえず
改造を続行する

FDCはROMカセットにぴったりと覆われている
そのROMカセットの上部に四角い穴を開け、そこにコネクタを
取り付ける
そしてそのコネクタとFDCから3.5へ伸びているケーブルの基板の半田付け部分を細い電線で接続する
約100ヶ所くらいの半田付けだ

そしてコネクタの横にもうひとつ穴を開け、そこにDS切り替え用のトグルスイッチを取り付ける
次にスイッチング電源にケーブルとスイッチを接続し、コンセントからとフロッピー本体へと接続する
最後にFDCと5インチフロッピーディスクを平べったいケーブル(名前忘れた)で接続する

最後にむき出しままの5インチドライブ本体をのケースを作成する
アクリルやアルミを使用する予算が
無かったのでボール紙を加工してケースっぽくした

とりあえずこれで完成だ

ドライブのスイッチを入れてから
本体のスイッチを入れる
(この頃のPCは、周辺機器から電源を入れるのが常識)
トグルスイッチを5インチに切り替え
ディスクを入れてリリースレバーを下げる
そして
フォーマット・・・

成功だ
これで世界で1台だけ(おそらく)の
MSX2環境が整った

これが一番思い出に残る改造だ
しかし・・・失敗のリスクも考えずによくこんなことやったものだ
(この緊張感が成功のカギだったのかも)

**********************

この頃からすでに俺は
PCを改造することに
何も抵抗を感じなくなっていた
次に実施したのは
PSG音源の
ステレオ化である

前に書いたように
俺のMSX2の音源はすでに
PSG+FM音源になっていた
しかしPSGだけで出来た音楽にも
まだまだ素晴らしい曲が
たくさんあった

詳しいことは
忘れてしまったが
このPSGのステレオ化にあたって
忘れられないことがひとつある
それは
LSIへの半田付けである

当時の俺のMSX2にはT9769 MSX-ENGINE2という
LSIが 搭載されていた
PSGのステレオ化にあたっては
このLSIから信号を取り出す必要があった
そのためには、このLSIからたくさん出ている足のひとつに
半田付けをしなければならない
LSIは2センチ四方くらいの大きさで
その1辺から36本の足が出ている

↓こんな感じ


t9769c_01.jpg



足と足の間隔は
0.25ミリ
今考えると
そこに半田付けをするなんて
当時の俺は
どうかしていたとしか
言いようが無い
(こんな改造を掲載する雑誌もどうかしていた)

ニクロム線の先を
サンドペーパーで削り
あらかじめ少し半田をつけておく
それをLSIの足の上にのせて
テープで固定
手が震える

ニクロム線の上から
15Wの半田ごてをそっとのせて
数秒待つ
あまり長時間あててしまうと
LSIつまり全てがオジャンだ
ニクロム線につけた
半田が溶けて
くっついた
とりあえず成功か

しかし
この状態では
何かの衝撃ですぐに
とれてしまう可能性がある
そこで俺は
買ってきた瞬間接着剤を
そこにつけて
固定した

PCのケースの横に穴を開け
ピンジャックを取り付ける
当然ステレオだから
LとRがある

電源を入れて
PSG音源のゲームを立ち上げる
・・・・・・
確かに左右から
違う音が聞こえる
ような気がする
しかし
素晴らしい効果があるかというと
それほどでもない
でも
当時はそれでも満足だった

改造とは
改造後の効果よりも
改造することそのものに
意義がある

俺がMSX2から学んだ
教訓だ

*******************

時代は1990年代に入り
MSX2もMSX2+、そしてMSXturboR
などと変遷していったが
日進月歩で進化する
パソコンのテクノロジーには
ついていけず
やがて消えていった
それとともに
俺のMSXに対する情熱も
急速に冷めていった


俺は高校を卒業し
大学へ進学した
当時はバブル末期で
景気が大きく下降しようとしていたが
そんなことは
大学生の世界ではあまり関係が無かった

大学に入ってからは
PCとは全く無縁となり
それから約8年間
マイパソコンは
購入しなかった
長い間
ロースペックなパソコンを
使いつづけていたせいで
自分自身も
新しいPCについて行けなかったのだ

大学を卒業後、俺は大阪市内の結婚式場に
就職し、仕事一筋の生活がはじまった

*****************

話は少し前に戻るが
俺がMSXの改造やプログラムを
する時には
強力な助っ人がいた
同級生のUK君だ

UKは中学からの友達で
異様にコンピューターに強かった
プログラムも
俺がベーシックであたふたしていた時に
すでに
アセンブラ(当時はマシン語と言った)を理解し
中学3年の時には
ドラクエそっくりのロールプレイングゲームを作成して
周囲を驚かせていた

プログラムの仕組みも
ハードウェアの原理も
電子工作も
彼は
いろいろ教えてくれた

しかし
中学を卒業し
彼は地元の公立高校へ
俺は
大阪市内の私立高校へ進学
UKとの付き合いは
そこでぷっつりと切れてしまった

今みたいに
携帯で気軽にメール
と言うわけには行かなかった時代だ

あれから彼がどうなったのか
俺はずっと気になっていた

しかし
運命とは不思議なもので
あれから20年後に
ミラクルが
起きたのだ


*********************


その新郎新婦は
チャペルで人前式を行い
その後披露宴をする
ごくごく普通の2人だった

大学を卒業し、俺はある結婚式場へ就職していた

いつものように
リハーサルを済ませ
後は
本番を待つばかりだった

人前式の場合
司式者という人間が
牧師の代わりをする
当時は俺が
司式者をやっていた

やがて本番5分前がやってきた
俺は受付を済ませて待機している列席者を
式場へと誘導した
その時、列席者の一人が
俺に声をかけてきた
その男が
UKだった

「おい、ひさしぶりやなあ樹下・・・どうしたん、蝶ネクタイなんかして・・・?」
「ええーっ!お前こそなんでこんなところに・・・!?」
「こんなところって、列席ですよ列席・・・」

司式者の俺は今から本番だ
今は挙式に集中しなければならない
ゆっくり話をしたい衝動を抑えて
人前式に挑んだ
しかし
俺の頭の中は
MSXのことで
一杯になっていた

何とか無事に人前式は済ませたが
仕事中の俺は
ゆっくり話をする間もなく
UKはそのまま披露宴会場へ行った

俺は披露宴会場に入り
進行表と席次表を確認した
なんと彼は
新郎の上司で主賓だった

披露宴が終わり
ロビーで少し話をすることが出来た
もらった名刺を見ると
彼はソフトウェア会社の部長になっていた
奇跡的な再会に
お互い喜びあい
彼は一緒にきていた同僚を
俺に紹介してくれた

もっと話がしたい
MSXの話
レトロPCの話
日本橋の話

後日飲みに行くことを約束し
携帯番号を交換した

そして数日後
俺とUKは20年ぶりのMSX談義に花を咲かせることができた
中学生同士だった2人が
時を越えて
子持ちのおっちゃん同士になった

別れ際に
メールアドレスを交換した
これでいつでも
連絡がとれる
便利な世の中になったものだと
痛感した

忘れようとしても
忘れられない思い出

ミラクルは
忘れた頃に
やってくる

俺はこの時から
奇跡を
信じるようになった




category: パソコン

2008/09/09 Tue. 10:13 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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